自分のフェミ的文章を
読み返してみて
なぜ事実婚なのか
理由を整理していなかったことに
いまさら気づかされ
もう自分の中では
当たり前になりすぎていて
もしかしたら日本社会でも
浮きがちだったのでしょうが
ずっと浮いてて気が付けば
当たり前なこととして
暮らしすぎてしまっています
きっかけは
もちろんフェミニズムで
いろいろと読み漁るうちに
フェミの婚姻制度に対する考え方に
激しく同意してしまい
上野千鶴子の言う
「自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと」
そんなことは幻想だと
大学時代に勝手に悟ってしまい
また日本の戸籍制度にある
差別的な問題も
事実婚を後押しし
夫婦別姓が選択できないこと
そこから見える
家父長制から抜け出せない感じ
また家単位の登録のシステムに
やっぱり家制度の名残りがみえ
そこに賛同したくない主張あり
まぁそんな主義で
失敗?苦い経験?もありましたが
40歳となった今は
落ち着いてしまってます
子どもが生まれる前は
もし手続きが煩雑過ぎたり
子どもにとって不都合があれば
結婚することも考えるかも
なんて夫と話していましたが
日本で保育園に通っていた時も
特に大変なことはなく
カナダに来て小学校でも
今のところ不都合なく
もう一つは
自分も親の国籍の関係で
戸籍上の名前と通称名の
二つの苗字をもってきて
生まれた時からそんなで
特にそれが理由でいじめられたとか
嫌なことがあったこともなく
自分が子どもとして
ひとつの家族で二つの苗字を
物心ついた時から経験していたことも
自分の子どもの苗字について
そこまで深刻に考えなかった理由に
なっていたのかもしれず
基本的には
(本田宗一郎だと思ってたら違って)
松下幸之助の「やってみなはれ」精神で
事実婚もまずは試してみて
気づいたら10年以上たったという感じです
次なる課題は遺言について
事実婚関係をNotary Publicで
証明した時のように
おそらく死後の対応についても
サインをもらっておいたほうが
良いのではと
まぁ遺産はありませんが
実際問題としての死体をどうするのか
焼くのか埋めるのか
どこに保管するのか
(書いてて変な文章になってきてますが)
とにかくスムーズに手続きが行われることを
自分が死んだ後のことも
たまに考えている今日この頃です