新しい環境の中で
おのおのどうすごしていくか
すぐに慣れる子もいれば
なかなか時間がかかる子もいる中で
気づかされるのは
人がその場に安心していられる条件
自分の気持ちを分かってくれる
欲求を理解してくれる
相手がいるということ
全力で泣きわめく赤ちゃんの
家族のもとに帰りたいという欲求を
保育園で満たすことはできない
が
「家族に会いたいんだね」と
気持ちを理解して言葉にする
もしくは共感を非言語で表現して
気持ちを受け止める
「欲求が満たされないのでは
意味がないのでは?」
馬鹿にすることなかれ
「あのおもちゃが欲しい。取って。」
そう意思表示してくる子どもと
「自分で行ってとってきな。」
と単純に見えるやり取りだって
まず子どもの欲求を理解して
こちらが反応していることの
子どもに与える影響
「この人は自分の主張していることを
分かってくれているのだな。
ということはおそらく
この環境も安全かもしれないな。」
そう赤ちゃんたちは考えていそうで
振り返れば自分だって
欲求を分かってもらえない苦しみの中では
決して安定して暮らせていなかったことを
思い出したり
逆にこちらも
相手の欲求を理解できていない相手には
きっと安心感を与えることは
できてなかったし
もしくは
こっちがわかったつもりでいても
大人の場合ややこしいのは
そもそも相手自身が自分の欲求に対して
無頓着?無意識にか向き合わず?
欲求自体にふたをして?
自分でも何がしたいのか
分かってない人も
実は相当数いるのでは
という仮説も浮上
「何がしたいんですか?」
などと聞いたところで答えはなかったり
「これがしたいんじゃないですか?」
なんてもし無意識かもしれない
ズバリ本音を指摘してしまったら
「お前にわかってたまるか!」と
逆切れされたこともあったか
しかしながら
自分の欲求に敏感であることからしか
心穏やかな日々は得られなかったわけで
私の場合
うまい日本酒と肴
好きな人の幸せ
自分好みの服
健康な生活
そして時にはめをはずしたり
信じる思想
排他的思考パターンからの脱却
etc
もし自分に自由になる時間と
自由になるお金が際限なくあったら
何をしたいか
そんな脳トレみたいなとこを
時々やって
自分のやりたい事を確かめてます